『モンスターハンター』が生まれてから、15年が経ちました
3月11日は、いろいろな感情が押し寄せる日です。
もっとも大きな出来事はもちろん東日本大震災ですが、個人的にはそのほかにも、うちの猫の誕生日であり、初代『モンスターハンター』が発売された日でもあり……。あらゆる意味で、忘れられない日なんですよね。
そこでここでは、週刊ファミ通の巻末コラムに寄せた『モンハン』15周年の記事を加筆修正して掲載し、さらに僕のまわりの“モンハンな風景”を切り取った懐かしの写真を公開したいと思います!
『モンスターハンター』発売15周年か……
早いもので、2019年も3月。気温もグンと上がってきて、あちこちから花の便りも届くようになってきた。と同時に、山間部から襲い来る大量の花粉も(((;゚Д゚))) なんやねん今年は……。めっちゃ花粉に粘膜が反応して、目も鼻も口もぐしゃぐしゃですがな……。
と、エセ関西弁で毒づいていたとき、ふと脳裏にかすめるものが。
「あ、そう言えば……」
慌ててスマホを取り出して、“ある単語”を検索にかける。その結果、出てきた情報をパラパラと見て、僕は「やっぱり……!」と頷いた。
「まもなくやってくる3月は、『モンスターハンター』の発売15周年だ……。15年前のあの日も、花粉でぐしゅぐしゅになっていたんだよなあ、俺(苦笑)」
そうなのだ。
いまから15年前の2004年3月に、その後の僕の人生を大きく変えることになるプレイステーション2用ソフト、初代『モンスターハンター』が産声を上げた。家庭にようやくブロードバンドが普及し始めたころ、バリバリのアクションゲームでありながらネットワークを介して4人いっしょに冒険できる……という画期的なゲームデザインは、日本のゲーム業界にかつてない衝撃をもたらす。自宅のネット環境を整えるだけでなく、プレイステーション2用のネットワーク機器をそろえないとマルチプレイができないという高いハードルがあったものの、
「あんなにデカいモンスターを、いっしょに狩れるなんて!」
「チャットで意思疎通もできるから、冒険感がハンパない!」
それまでの家庭用ゲーム機用ソフトでは決して味わえなかったゲーム性が話題となり、新しモノ好きを中心に『モンスターハンター』はカルト的な人気に。そして僕も、ネット仲間とともに発売当日からオンライン集会所になだれ込み、仕事そっちのけで“会社で”狩りに明け暮れることとなった。
『モンスターハンター』は、とてつもないゲームだった。
美しいフィールド、個性的な6つの武器種、恐るべきモンスター、考え抜かれたアクション、いっしょに冒険する仲間たち……。
「テレビゲームって、ここまで楽しくできるんだ……!」
仕事がらさんざんゲームで遊んできたけど、『モンハン』がもたらした高揚感や没入感は他の追随をまったく許さなかった。それどころか、圧倒的すぎて同じ土俵で比べるのがバカらしくなるレベルだったのである。
ところが前述の通り、すべてをしゃぶり尽くすにはネットワークにつなぐことが大前提だったので、当初の販売本数はゲームの楽しさとは決して比例していなかった。そこで、僕は考えた。
「こんなにすばらしいゲームなんだから、もっと売れてほしい! そのためには微力ながらも、草の根活動をやろうじゃないか!」
そしてファミ通.comでスタートさせたのが、“『モンスターハンター』プレイ日記”という一連のエッセイだ。『モンスターハンター』をプレイする中で出会った出来事や思ったこと、はては妄想なんかを、好き勝手な文体でまとめたものである。いまでは“プレイ日記”という言葉も一般的になったが、当時はどこのメディアを見ても、こんな連載はほとんどなかった。そういう意味では、この手の記事の走りだったと言える。ありがたいことにこの連載はウケ、のちに『本日も逆鱗日和』の名前で単行本化された。
と同時に『モンスターハンター』も続々とシリーズ作品が展開されるようになり、PSP(プレイステーション・ポータブル)用ソフト『モンスターハンターポータブル 2nd』で人気が爆発。PSPを持ち寄って狩り仲間と冒険に出掛ける“協力プレイ”は社会現象にもなり、現在に続く隆盛を極めるのである。
そんな『モンスターハンター』シリーズの礎が発売されてから、15年が経ってしまった。その間、何度もサボったり、休眠期間を取ったりしながらも、いまだ僕は『モンハン』シリーズで遊び、プレイ日記を書いたりしている。ここまで来たら……パソコンのキーボードが叩けなくなるまで、ひたすら『モンハン』の記事を書き続けるわ。そして20周年となる2024年の3月も、きっとどこかで、
「初代『モンハン』が発売されてから、20年が経過した。あのころ僕は、『逆鱗日和』を……」
なんて綴っていると思う(笑)。
『モンハン』を追いかけ続けたおかげで、本当にいろいろな風景に出会うことができた。
藤岡さんや良三さん、小嶋さん、一瀬さん、徳田さんら開発者の皆さんと仲良くなれたり。
モンハンフェスタにくっついていって、全国を旅したり。
『逆鱗日和』の新刊が出るたびに、読者数百人を集めてイベントを行ったり。
この15年間、僕のまわりにはいつも『モンハン』があった。我が人生でもっとも充実していたであろう30代は、『モンハン』な風景に彩られているのだ。
『モンスターハンター』と大塚角満は、一蓮托生。これからもドタバタと追いかけ続けるぞ!
僕のまわりの、モンハンな風景
ではここから、懐かしの写真を何枚か……。モンハンがらみの写真、すんげえ膨大にあるので、本当にテキトーにピックアップしました。ご要望があればまた、このような写真記事を作りたいと思いますw
一気にいきます。
▲『本日ももっと!逆鱗日和』に掲載している“ティガレックス、最後の激突 その1”というコラムで使った写真。上位ティガレックス2頭を討伐する“異常震域”というクエスト(『モンハンポータブル 2nd』ですな)がどうしてもクリアーできず、へこたれて書きなぐったメモw
▲上のティガレックスよりももっとクリアーできなかったラージャン2頭討伐クエスト“最後の招待状”を、ついにクリアーしたときの1枚w 取材で行っていたカナダのモントリオールのホテルで、どうにかこうにか倒したんだよなぁ……。この一連の挑戦を綴った“最後の招待状 ~長き旅路の果てに~”という3部作は、個人的にも好きなコラムになっています(『本日ももっと!逆鱗日和』に収録)。
▲第2回の狩王決定戦で優勝した“もうゲネポ”のふたりに会いに行ったときの1枚。「屋外でインタビューして、青春の1ページみたいな写真を撮ろうぜ!」とか言って、真夏の暑い中公園の東屋で話しているんだけどね。一見さわやかだけど、3人(+撮影の江野本ぎずも)のまわりで蚊がブンブン飛んでいて、インタビューどころじゃなかった思い出w
▲個人的に、懐かしくて涙が出てきそうになる1枚。しょっちゅうコラムで書いていた馴染みの飲み屋“バーS”のマスターとモンハン(『モンハンポータブル 2nd』かな?)をしているところw このころ、毎週必ず校了後に江野本と飲みにいって、3人で狩りをしていたんだよなー。3人で遊ぶことで、コラムのアイデアとか企画がたくさん生まれました。
▲4冊目の『逆鱗日和』、『本日もサヨナラ!逆鱗日和』のゲラ。「あとで使うことになるかもしれんから、なんでもかんでも写真に残しておいてくださいよ! あっしもそうしているんですからね!」と江野本に言われたので、当時の写真は本当にたくさん残っているんです。
▲我が生涯でもっとも楽しかった夜、出張狩猟ツアーで訪れた佐賀の夜の1枚。「大塚角満と狩りをしたい人大募集!」という無茶なイベントを企画し、応募してくれた佐賀の居酒屋さんに本当にいって、夜を徹して狩りをしたんだよねえw いろんな色のPSPが、じつに懐かしい。
▲もう1枚、佐賀の夜の様子。何をしているのかというと、割りばしの先にふたつの印がつけてあって、つぎの狩りにいくチームをコレで決めていたのです。このときのメンバーは基本、ユルいプレイスタイルの人ばかりだったので、誰とチームになっても変わらなかったんだけどw
▲『逆鱗日和』の新刊が出るたびに、エンターブレイン(当時)のイベントスペースで“出版記念イベント”を実施していたんだよね。そのとき、来場してくれた人のために手作りの冊子を作って配っていました。自分で言うのもなんだけど、いま読んでもメチャクチャおもろいですw
▲『逆鱗日和』のイベントで恒例だったのが、狩王決定戦で活躍したツワモノチームをシャッフルしてタイムアタックをしてもらう催し。勝手にチーム名を付けて盛り上がっていました。
▲大塚角満手作りによるトロフィー。その名も“角満ヘッドトロフィー”www 角満カップっていうタイムアタック大会の優勝者に贈ったものだけど、この呪い人形、誰が持っていったんだっけなーw
▲『モンスターハンターポータブル 2nd G』の最難関クエスト“モンスターハンター”を、20数回の挑戦の末にクリアーしたときの写真。リオレウス、ティガレックス、ナルガクルガ、ラージャンを大連続狩猟で討伐する……という恐るべきクエストだった。ガンランスにすべてをささげた証として、どうしてもこのクエストをクリアーしたかったんだよな。詳細は、『本日もサヨナラ!逆鱗日和』でぜひw
▲出張狩猟ツアーで青森を訪れたときの写真。「地方の読者ともいっしょに狩りに行きたい!!」という思いで企画したツアーだったけど、本当に楽しかったなあ。またいつか、こういうことをやってみたいものです。
というわけで、懐かしのモンハン風景でした! また機会があったら掲載したいと思います!
『モンスターハンターライズ』プレイ日記 逆鱗ぶいっ! Vジャンプレイにて連載中!